BSE

日本人はリスク分析に慣れていないので、「ゼロリスク」を求めがち

BSE問題で食品安全委員会のメンバー12人中6人が辞めたという話。
新聞に異なる3つの立場から意見が述べてあった中の1つ。
この記事を読むとわかるのですがが、やってられなかっただろうな、とおもいます。
本業に専念というのはまあ建前で、正直結論ありきの調査・会議は時間の無駄だったでしょう。

朝日新聞2006.4.14
opinion news project

答申誘導許す枠組み疑問

金子清俊氏
東京医科大教授(神経生理学)

58年生まれ。プリオン発見でノーベル賞受賞のプルシナー氏に師事。3月までプリオン専門調査会座長代理

 これまでの答申内容について責任回避するつもりはない。私の辞任は抗議のためではなく、本業に専念したいからだ。ただ、明確にしておきたいのは、リスクを科学的に評価するには諮問自体が論理的で、科学的にも妥当でなければならないということだ。
 諮問自体に問題があれば、「リスク評価機関」としての食品安全委の答申も信頼性が揺らぐ。諮問の仕方によっては、答申も誘導できる現在の枠組みは是正すべきである。
 諮問は牛海綿状脳症(BSE)の管理体制ではなく、米国産輸入牛肉の評価を求めたうえ、1.背骨などの特定危険部位(SRM)が米国内で完全に除去されているものとみなす2.感染リスクが低い若いとみなす牛だけを対象にする-----という条件付きだった。
 リスク管理の重要なポイントを骨抜きにする条件をつけておいて、食品安全委に「科学的評価をして欲しい」と求めてくる姿勢は、理解し難かった。答申に「科学的評価は困難である」との文言が入ったのは、科学者としての懸念や危惧を表明したものだ。だが、「科学的な検討の結果」というお墨付きを与える結果になったことは残念だった。
 その1カ月後、背骨が付いた米国産牛肉が入り、輸入が再び停止されたが、「リスク管理機関」である厚生労働省農林水産省の責任を問えば、済むことなのだろうか。
 「食の安全評価」を本気で目指すなら、食品安全委は諮問に疑問があれば、政府側に出し直させる権限が必要ではないか。そうでなければ、科学的な評価はできない。
 食品安全委は「科学的に評価する」「公正、中立、独立して調査する」を旗印にしているが、向かい合っているのは現実の社会だ。時間的制約もあれば、現時点では不明な知見も多い。それでも評価を出さなければならない。
 その場合、科学的評価の基準について国民的な合意を形成することが必要だろう。日本人はリスク分析に慣れていないので、「ゼロリスク」を求めがちだが、現実問題として、ある程度のリスクは許容せざるを得ないからだ。
 科学的に検証しても、常に変化や幅がある。リスクを明確にして、政治が判断するか、国民の意見を聴いて対応すべきだ。基準がなければ、国民は「リスクは限りなく小さい方がいい」という期待を強めるだけで、安全が安心の問題に変わるだけである。
 食品の安全を確認する作業には、リスク分析の専門家も参加すべきだということを痛感している。科学的な研究評価を、彼らが別の角度から評価すれば、リスクに対する認識が深められる。彼らを中核に、特定の分野の専門家が集まる形式でもいい。彼らがリスクの取り方の基準を作れば、食品安全委の各部会に「共通のものさし」ができる。
 そんな基準があれば、食品安全委は「リスクがある情報」を開示できる。国民が「限りなくゼロにすべきだ」と求めれば、「コスト増をどう判断するか」と問題提起もでき、「リスクコミュニケーション」が図れるようになる。
 ただ、食品安全委が「安全」と強調しても、国民が納得しなければ意味がない。国民の信頼を得るには、食品安全委、厚生労働省農林水産省などのリスクコミュニケーション体制を強化すべきだ。
 例えば、省庁を横断的に網羅する「食品安心委員会」のようなリスクコミュニケーション組織を設けて、リスクの評価や管理について、ふだんから情報開示していれば、信頼性もさらに高まるだろう。
(聞き手・伊藤政彦)