空き時間で、ようやく、読了しました。
とりあえず、最重要部をメモしておきました。
感想はまた追記予定。

第一部 医療と刑事責任
日本の航空機事故調査の問題点

 わが国の警察、検察は犯罪捜査と刑事責任追求はすべてに優先すると考えているらしい。そのために事故が多発しようが、医療が混乱しようが、気にする様子はうかがえない。警察、検察を抑えるべき権威はわが国には存在しないいようにみえる。本来、濃くない方に優先すべき国際条約も、国内にしか関心を持たない警察、検察を制禦できていない。国土交通省厚生労働省は、事実上、警察庁の下位におかれている。政治家も警察、検察に口出しできない。警察は理解力に問題があるためか、科学にも敬意を払わない。見込み捜査と自白強要という、昔ながらの犯罪捜査が、科学的調査を必要とする場面に土足で踏み込んでいる。警察、検察の活動についてチェック機構が働いているように思えない。チェックのない権力がどのようなものか、歴史をひも解くまでもなく、現在の世界を観察すれば十分に理解できる。

第三部 医の倫理と医療の安全
インフォームド・コンセント

 医師は可能な情報を提供すべく努力するが、患者が判断するのに充分な情報を提供することは難しい。勉強不足の医師もいるかもしれないが、充分な情報は存在しないことが多い。論文として次々と専門雑誌に発表されている成績はあくまで田の施設の成績である。現在、数字として発表されている成績も、昔実施された手術の成績である。

 患者は自分で「えいや」と飛び降りるつもりで、適当なところで結論を決めざるをえない。中途半端な情報で大決断を迫られることは気の毒とは思うが、この役割を医師に要求することはできない。手術後に患者が死亡したとき、放射線治療で直腸潰瘍が生じたとき、無治療で病状が進行したとき、治療方針の提示の仕方によっては、患者家族から恨まれたり、賠償責任を負わされることがある。最近の風潮だと刑事責任すら問われかねない。治療の結果が思わしいものでなく、医師に対する恨みが生じると、避難の理由は後からついてくる。医師は治療方法の最終決定の場面では、控えめな態度を取らざるをえない。


アンケート結果へのコメント

 一部の患者は、医療に対して過大な期待をもち、少しでも自分の期待にそぐわないこと起こると、しばしば病院に理不尽なクレームを持ち込む。病院はこうした患者を腫れ物を触るように丁重に扱っている。なぜなら、マスコミや一部の法律家にもこうしたクレームに同調する人間がいるからである。また、患者側はいかなる非礼も許されるが、病院側は対応にわずかの瑕疵があっても、その部分のみ取り上げられて、一斉攻撃されることがあるからである。騒ぎが大きくなるとさらに対応に手間ひまがかかる。

 無過失に伴う賠償責任の回避について、法的根拠を付記せよとの意見があった。言葉の意味からしても、罪や過失がなければ償いは生じない。私は、無過失ならば賠償責任が生じないのは、法律以前の社会常識であると思っている。無過失で補償を求められるとすれば、河で溺れて死亡したとき、飛び込んで助けようとした人間は、助けられなかったことを理由に、家族から賠償を請求されることになる。これは社会の公序良俗に反する。無過失でも賠償責任が生じるのならば、それこそ、法的根拠が必要である。もし、こうした法律ができるとすれば、必然的に医師に診療を断る権利を与えざるをえなくなる。過失を伴わない身体障害に対する賠償を求める意見の背景には、生命は永遠であり、医療に危険が伴ってはならず、医師は100%の安全を保障すべきとの考えがあるように思う。さらに、医療の経済的制約に関係なく、言い換えれば、患者あるいは社会が、医療に対し、どの程度費用負担をしたかに関係なく、医療にはすべてを要求でき、病気になったことまで含めて、すべては医療側の責任であるがごとき考えがあるように思える。
 術前に説明されて承諾している避けえない合併症に対し、平然と賠償を要求する患者も存在する。私には、個人として自立していない我が儘放題の子供のようにみえるがいかがだろうか。もし、過失を伴わない身体障害に対してまで、医療側に賠償責任を負わせるのならば、侵襲を伴う医療行為は実施不可能になり、医療は崩壊する。医療制度は神からの贈り物ではない。人類が営々として築いてきた財産である。その維持管理には個々の患者にも相応の責任がある。

 生きていくにはリスクを伴う。過失を伴わない身体障害は、現在のわが国の社会制度では、自分で金を支払って、疾病保険、あるいは、生命保険で対処すべき問題である。保険会社は危険を具体的数字として計算して、損失がでないような商品設計をする。手術前に保険に入ろうとすると、病状や手術内容にもよるが、望む保障金額に対し、かなり高額な支払いが要求されると思う。
 過失の有無を問わず、医療事故も合併症もすべて誰かが保障すべきであり、それを病院が担うべきであるとの考え方があるかもしれない。実際にこうした主張をする法律家もいないではない。もし、これを医療側に求めるとすれば、医療費の算定方法が根本的に変化する。病院が生命保険会社の機能を持つことになる。となれば、個々の医療機関が医療費を設定することを認めざるをえなくなるし、医療費が今よりはるかに高額になる。


資料2

手術・検査・治療法等 診療行為同意書

説明と同意についての原則

 多くの診療行為は、身体に対する侵襲を伴います。通常、診療行為による離液が侵襲の不利益を上回ります。
 しかし、医療は本質的に不確実です。過失がなくとも重大な合併症や事故が起こり得ます。診療行為と無関係の病気や加齢に伴う症状が診療行為の前後に発症することもあります。合併症や偶発症が起これば、もちろん治療には全力を尽くしますが、死に至ることもあり得ます。予想される重要な合併症については説明します。しかし、極めて稀なものや予想外のこともあり、すべての可能性を言い尽くすことはできません。こうした医療の不確実性は、人間の生命の複雑性と有限性、および、各個人の多様性に由来するものであり、低減させることはできても、消滅させることはできません。
 過失による身体障害があれば病院側に賠償責任が生じます。しかし、過失を伴わない合併症・偶発症に賠償責任は生じません。
 こうした危険があることを承知した上で同意書に署名して下さい。疑問があるときは、納得できるまで質問して下さい。納得できない場合は、無理に結論を出さずに、他の医師の意見(セカンド・オピニオン)を聞くことをお勧めします。必要な資料は提供します。

説明内容
1)病名
2)診療行為名称
3)必要理由
4)方法の概略
5)合併症・実施後の身体障害の程度
6)別の手段
7)実施しない場合の予後
8)一般的な術後経過
9)その他

同意
上記診療行為について、十分な説明を受け、理解しました。その上で、診療行為を受けることに同意します。また、説明と同意についての原則を理解・承認したことも付け加えます。